三嶋大社の彫刻 「吉備真備(きびのまきび)囲碁の図」他
三嶋大社崇敬囲碁会 日比谷 洋
三嶋大社「吉備真備囲碁の図」その他に関しまして補足させていただきます。
まず、吉備真備ですがご存じの様に、吉備真備は奈良時代の漢学者であり2度の遣唐使として中国に渡り、無事日本に帰国し様々な書物を持ち帰っております。
真備には入唐時代における色々な伝説が残されております。
→「吉備大臣入唐絵巻」で検索してみてください。
その中の囲碁の試合が右の入唐絵巻の中の図です。(部分拡大してあります。)
中国の囲碁名人との試合です。負ければ真備は殺されるという生死のかかった試合ですが、囲碁を知らなかった真備が阿倍仲麻呂の霊(鬼ともいわれる)の指導により1目勝ち(碁石を飲み込んで)をしたとあります。絵図から両者の必死の形相がわかります。
左図が三嶋大社の彫刻「吉備真備囲碁の図」です。
相手が囲碁名人ではなく玄宗皇帝のようです(私見ですが)。右側に居る女性の指導で真備が勝利したとの話もあります。隣の女性は玄宗皇帝の御后であるのかどうか?
全体に和やかな雰囲気が伺えます。また、この原画が存在するのか、三嶋大社のオリジナルかは不明です。
この2つの伝説があります。
三嶋大社拝殿・蟇股(かえるまた:梁や頭貫の上にあって上の荷重を支える材) の下に3つの彫刻があります。
右側に「吉備真備囲碁の図」
三嶋大社によりますと「天照大御神」最も大事な日本神話、「吉備真備」は知恵、これと対をなす「鵺退治」の図は勇気をあらわしていると説明しております。
三嶋大社は幾度となく、戦による焼失・大地震による倒壊の憂目にあっております。
嘉永7年からの東海沖地震(安政大地震)によりすべて倒壊してしまいました。その後当時の宮司矢田部盛治の尽力により12年の歳月をかけ再建されております。(大社神門手前の手水舎奥に盛治の銅像があります)
再建時、何故これらの彫刻が選ばれたかは資料的に不明ですが、天照大御神の両脇に掲げてあるのは適切な絵図と思います。
※ここで補足として、当HPブログより、なぜ「吉備真備囲碁の図」が三嶋大社にあるのか、を転載します。
「三島大社装飾彫刻の物語」(土屋寿山著)より
吉備真備の図が三島大社に飾られたのは、真備が中国から暦法の伝達者であり、三島には三島暦があることから選ばれたものと思われます。(原文のまま)
ちなみにwikipediaによると、
三島暦(みしまごよみ)とは、応仁・文明(室町時代)頃から1872年(明治5年)まで伊豆の有力者である河合家が作成して、三嶋大社より一般に頒布された暦である。
仮名暦(仮名書きの暦、漢字書きの暦が本格派で男性の読むものとされた時代、女性・子供向けのものとして造られたもの。)であり、主に伊豆国・相模国の2カ国で流通した。尚、三島暦は、仮名文字で印刷された暦としては、日本最古と言われている。
ここで、三島?三嶋?という疑問が生じるのですが、正しくは「三嶋大社」「三嶋暦」です。
現在の地名は「三島」ですから、歴史的にこの二つのみ「三嶋」、あとは「三島」でよいのではないかと日比谷さんも仰っています。
日比谷さんのお話に戻ります。
三嶋暦に関しまして
三嶋暦の製作河合家より平成17年河合家の一部が三島市に寄贈されました。
現在の「三嶋暦師の館」です。
土日曜は多くの観光客が訪れ、館内にはボランティアの方がおり太陰太陽暦・暦の歴史をわかりやすく説明していただけます。(見学無料)
よく、河合家は三嶋大社の社家といわれますが、社家ではなく社人です。
社家は三嶋大社の祭祀を司る方々。(社家頭・平社家)
下社家(社人)はその他もろもろ(宮大工・流鏑馬役・暦師など)の奉仕職。
囲碁と暦(太陰暦)は切っても切れない関係にあります。天元は北極星をあらわし、碁盤には8つの星があり、宇宙をあらわすといわれます。
「天地明察」(冲方丁)という小説があります。
あらすじは、渋川春海(碁所名は安井算哲)が会津藩の命により難関辛苦の末最も正確な大和暦を作りあげました。江戸時代まで暦は朝廷の専権事項で幕府といえども介入はできませんでした。朝廷は最終的に貞亨歴(大和暦)を承認したという内容です。
また、この小説は「天地明察」の題名で2012年岡田准一・宮崎あおい主演で映画化されており、DVD化されております。
※映画「天地明察」では、冒頭のタイトル文字が出たすぐあとに映る碁石を持つ手は、当席亭のご子息、山下寛さんです。
主演・岡田準一さんがアップになる寸前の一瞬です。よ~く見てくださいね!!
※「吉備真備囲碁の図」を当HPで使用することについては、三嶋大社の正式な許可をいただいています。